新・2012年をゆっくりふりかえる。

自分が好きだった日本のアイドルは「ねらわれた学園」の原田知世が最初で最後だったと思う。

その後「風の谷のナウシカ」の衝撃的な登場で若干2次元をさまようが、実家がWOWOWに加入し映画が観られるようになり、「告発の行方」を観る。冒頭、酒場にギャル系の女の子が登場して踊り始める。なんだこの子、すげぇ可愛い!とほとんど一目惚れだったのだが、その後その女の子はエライ目に遭う。好きな女の子がいきなり不特定多数の男たちに弄ばれるのを見せられ、世の中なんて恐ろしいんだと心底ビビった記憶がある。その後、彼女は美しい髪をバッサリと切り落とし卑猥な言葉で侮辱した男の一人に車ごと突っ込む!いくら好きな女の子が出てる映画だとはいえ、その子が輪姦される映画を何回も観てたあの頃の自分もどうかと思うが。

その子のフィルモを追っかけると「ホテル・ニューハンプシャー」でもやっぱり輪姦されるは同性愛だわ近親相姦だわと(カラッと描いてはいるが)凄いことになってるし、「タクシードライバー」では子供なのに売春してるはで、当時思春期の俺の女に対するイメージはもうメチャクチャだったよ。最近、あるカミングアウトしたことで話題になってたけど、
「俺が二十歳の時に、彼女は33か。・・・いける!」と思ってた十五の俺と「羊たちの沈黙」のトマス・ハリス先生に言ってあげたい「彼女はレズだよ」と。
だけどね、そんな事で彼女に対するイメージが変わるということはない。そういう事実を踏まえれば彼女が「リトルマン・テイト」を撮った心境も理解できる。学がないシングル・マザーがインテリの女教師と反発しあいながら天才少年を育てる話で、天才子役として持てはやされ同年代の子供たちには見えないものが見えてしまう悲劇や女一人で子供を育てる不安などを正直に描いていた。たとえ男が恋愛対象として見れないのだとしても、映画を見る限り彼女の人間に対するまなざしは男女分け隔てなく優しかったし、そんな彼女を好きで俺は良かったと思っている。

人気がなかった頃に作られた何てことないお約束が人気が出ることでお金が絡んでくると当事者たちの首をグイグイと絞め始める。何かの自由を奪う事の怖さをまざまざと見たような気がする。最近は何か起こると何でもかんでも禁止ばっかりだけど、そのうち自分たちにも帰ってくるよ。これに懲りずに女も男もめげずに炎を飛び越えて行って欲しいね。

さて、去年の映画をまたふりかえってみましょうかね。
ロボット
(「ターミネーター」+「マトリックス」+「I,ロボット」+「トランスフォーマー」)÷4×「少林サッカー」=「ロボット」
という公式が成り立つのがインド。すごい。歌詞に「ワサービ」とか「アリガトウゴザイマス」とか日本語がチラホラ入ってるのも嬉しい。健さんも「あなたへ」みたいな映画じゃなくてこういう映画に出てもらいたかった。もう無理とは分かっているけれども。

おおかみこどもの雨と雪
自分が予約した回の上映時間を間違えて前の回のラスト30分頃に入場してしまい、ずいぶんクライマックス的なものを前に持ってくる映画だな〜など考えてるうちに例の息子のアオォーンがあって「おおかみこどもの雨と雪」というタイトルがバーンと出てきて、ずいぶんオープニングタイトルをひっぱったなと思ったらエンドテロップが流れてきて相当あせりました。でも、ラストの印象が良かったのでこれはかなりの傑作ではないかという予感はあったのだけれど、その期待に応える出来でした。
全編長女のナレーションが入るところ、父親の不在、子供の精神的自立と家族との訣別、成瀬巳喜男監督の傑作「おかあさん」を彷彿とさせるところがいつくもありました。「おおかみこども〜」に対してハナの描き方が男の理想でしかなくてあんな母親を要求されても困るんですけど的なコメント色々見ましたが、恐らく「おかあさん」の公開時にもウーマン・リブな方々からはそういう批判もあったんじゃないかと思います。田中絹代演じる母親はふりかかる不幸に耐えながらも常に笑顔をたたえながら黙々と仕事をこなしているから。ですが、ラストに娘が作文を棒読みしてる風のナレーション(母親についての作文を一般公募したところから映画の企画が始まっているため)が入ります。

「きょうもまたしずかなよるがふけてゆきます。
そして、あしたもすずめのこえでしあわせのあさがやってくるのです。
おかあさん、わたしのだいすきなおかあさん、
しあわせですか?わたしはそれがしんぱいです。
おかあさん、わたしのだいすきなおかあさん。
いつまでもいきてください」

そこへ預かっている親戚の子供とすもうしてわざと投げられた田中絹代が息をはらしながらほつれた髪をなおして笑顔なのかそういう顔なのか的な絶妙な表情のアップで映画が終わる。長女の母親を見つめる表情には母親に対するいたわり気持ちと結婚したら自分もそうしなければいけないのかというプレッシャーのようなものも交じっているようにも見えます。
途中クリーニング屋を手伝ってくれる夫の戦友でシベリア帰りの「捕虜のおじさん」(笑)とのあらぬ仲が巷で囁かれ、商売が軌道に乗り始めたところで捕虜のおじさんは出ていくのだけれど、彼の見送りにみんな出て行って一人残った田中絹代の表情が不安のような後悔のような顔をはじめて一瞬見せるんですね。女としての人生は犠牲にしているかもしれない。けれど、それでも子供を育てる。愛なのか意地なのか、それとも女の本能なのか。子供にはわからない親の気持ちをどう解釈するかは結局子供自身で決めるしかない。そういう描き方だったところに共感できました。病気の子供を病院に連れて行くか動物病院に連れて行くか迷うというところをギャグとして描いているシリアスとコミカルの絶妙のバランス感覚も良いです。
気候や虫の種類の変化でそれがいつなのかを見せる時間経過、都会の人間が越してきたことに対する地元民の描き方や彼らの信用の得方、動物と人間の生活圏の曖昧な境界など、自分が引っ越してきた経緯が似ている分とてもリアルで効果的に描かれていると思いました。本棚にある実在の農業関連の書籍のすごいラインナップ(と、思う。劇場でチラ見しただけだから)の割にジャガイモの定植がわかってなかったり突っ込み所もなくはないですが。
あなたへ
ストレイト・ストーリー」や「アバウト・シュミット」のような老人の黄昏を描いたロード・ムービーは色々あるけど、その種の映画の要素は全然ない。健さん自分が老人を演じてるという自覚全然ないからね。なぜ一介の老人がキャンピングカーで旅するだけであんなにチヤホヤされるのか。なぜなら健さんはアイドルだから、それしか理由が考えられない。俺にもAKBにも負けないくらい立派に追っかけてるアイドルがここにいたよ!お前、俺にパッションないパッションない言うけども、俺にもパッションあったんや!
せっかく田中裕子、ビートたけし大滝秀治と「夜叉」の面子がそろってるんだから、たかだか5年ぐらいの高齢結婚という設定にしないで「夜叉」の二人のその後的な描き方が観たかったとも思う。ビートたけしもあんな変な友情出演するくらいなら、「アウトレイジ・ビヨンド」に健さんを陰の大物で担ぎ出すとかそういう発想はなかったのだろうか(あったとしても健さんが断ってそうではあるが)。
健さんが車で寝ていると中華料理屋のおかみを演じる余貴美子が完全にハンターモードの飢えたような目つきで差し入れを持ってくるシーンで、健さんの衰えゆえに彼女に襲われても抗えないのではないかとちょっと無駄にドキドキしてしまった。この作品は大滝秀治さんの遺作になってしまい、健さんとのツンデレなやりとりが愛おしく思い出される。
エージェント・マロリー
総合格闘技を映画の中で使うとこうなるのかというのが見れて興味深かった。あの立ち技からいきなり関節取りに行く感じね。もう少し敵役が手ごわくてもう少しストーリーがちゃんとしてたらすごい傑作になってたような気がする。最近の細かいカット割りで強そうに見える&早そうに走ってるようにみえる編集に頼らない、俳優を端から端までしっかり走らせてそれをしっかりカメラを据えて撮るというドキュメンタリー重視な撮影は見ごたえはあったけど、俳優に要求される身体能力はハンパないとソダーバーグの鬼のような映画作りに痺れました。主演のジーナ・カラーノはメチャクチャごつくなったレイチェル・リー・クックみたいなルックで可愛いような可愛くないような。…いや、可愛いです。
鍵泥棒のメソッド
殺し屋と俳優が入れかわりそのギャップを楽しむ映画なのかと思ってたけど、殺し屋が記憶喪失になっても几帳面な性格と物事に取り組む真摯な姿勢と合理的な学びの手法は失ってなくて、俳優としての才能を開花させていき、その回りくどいほどの謙虚な姿勢が現場で愛されてどんどんしょうもない仕事が舞い込んでくる展開が面白くて堺雅人のエピソードはいらないからずっと香川照之を眺めていたかったくらい香川照之がカワイイ。ギャグはほとんどすべってたし、脚本が練られすぎてて窮屈な感じもあるけどここまで面白ければ文句はない。ヒロスエの結婚相手の条件とバイト募集の条件が同じなのが可笑しかった。いつの間にいい女優になってたね。もっと色んな映画に出てほしい。ノートの正しい取り方が学べます。
デンジャラス・ラン
原題の「Safe House」で良かったんじゃないのか。このタイトルだとデンジャラスなのは走り方みたいだよね。ライアン・レイノルズはいっぱい走ってたけどデンゼル全然走ってないしね。この映画のライアン・レイノルズはメチャクチャカッコいいんだけど「テッド」でナヨナヨしたゲイを演じててびっくりした。グリーン・ランタンってやっぱりアメリカじゃ馬鹿にされてるんだろうなぁ。「96時間 リベンジ」とかもそうだけど外国でやりたい放題やって後は大使館に逃げ込めばいいみたいな展開は好きになれない。今回は逃げ込んでもダメって話だったけど、殺された警備員とか一般人も結構死んでるわけだし、デンゼルには黒いままで逝って欲しかった。いやメタファーな意味で。
ハンガー・ゲーム
アメリカでメガヒットしたというので期待してたんだけど10年前に「バトル・ロワイアル」を観てる身としてはヌルイ殺し合いしてんな〜という感じ。もう日本じゃ「悪の教典」にアップデートされてるんだけどね。しいて勝っていると言えば山本太郎役のウッディ・ハレルソンぐらいか。近未来の話なのにビジュアル的にダサいというのがもったいない。司会者の髪型とかスタンリー・トゥッチだから許されるレベルですよ。「デーブ」「カラー・オブ・ハート」「シー・ビスケット」でアメリカ社会を風刺をしながらも前向きなエンターテイメントを作ってきたゲイリー・ロスがこんな殺伐として映画を撮ったこと自体に興味が湧いた。次回作全然関わってないみたいだけど。しかし、実力よりも人気が出ればゲームが有利になるのでみんな嫌われないように競って媚びまくるパトロン制度ってAKBみたいな構造だよね。しかし、今のアメリカの若手の人気俳優の中にカッコいい奴って全然いないよね。
桐島、部活やめるってよ
現役の高校生よりも、青春が終わったであろうアラサー、アラフォーの面々がこの映画を見終った後に映画の感想よりも自分の学生時代を語りだすという光景がネットでよく見られた。高校生活を中途半端に終えた身としてはあまりピンと来ないけど中学の頃ならなんとなくこんな感じわかる。今でもあるよこういう感覚。Facebookでも知ってても過去の威光が眩しくて友達になって下さいって言えない人結構いるもんな。何だろうこの精神的な格差感。神木君と大後寿々花の子役から成長してもその殻今一つ破れなかった感を見事に振り払わせたキャスティングがナイス。

今日もここまでにしておこう。まだ続くのか。