「コンテイジョン」を観る。

 昨日は映画の日。シネマ・リオーネ古川で「コンテイジョン」を観て来た。若干早めに着いたので、受付で席を確保するとポイントでフリーポップコーンのチケットを渡される。眠くなるので映画観る前と観ている間は基本的に物を食べないようにしているのだが、タダ券には弱い人間なのでとりあえずキープしておく。
 待合ロビーで開場時間を待っていると、先に「マネーボール」20時の回の開場が始まったようでアナウンスが始まる。・・・誰も行かない。ちょっと待て。今日は映画の日だぞ。最後の回だけどさ、いないの誰か。あまりに切ないので俺が入ろうかと思った。従業員の様子を見ても特に動じることもなく、こんなこと良くあることなんだろう。様々なショップやアトラクションの複合施設なので映画館だけの責任でもなくて、イオンモールが近くにできるまではそれなりに混んだ場所だったんだろうけど、一度人を呼べない場所になってしまうとトコトン人が寄り付かない寂しい場所になってしまうんだろうな。
 「コンテイジョン」は10人ぐらいいたから良かったけど、ひとりで鑑賞とか作品の選びようによってはあるかもね。そんな家でDVD観てるのと変わらない状況だけは勘弁してほしいもんだ。ちなみに自分は映画館に足を運んでいる方の人間だと思うけど、映画館貸し切りは今のところ体験したことはない。
 本日の予告編は「麒麟の翼」「聯合艦隊司令長官 山本五十六」「Friends もののけ島のナキ」「ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル」「マイウェイ 12,000キロの真実」と前回よりも多い。どういう基準で変るんだろう。「マイウェイ〜」でチャン・ドンゴンがきれいな日本語を話していたけど、「ロスト・メモリーズ」でも日本語を話す役だったもんな。「シュリ」のカン・ジェギュの新作だから一応チェックしておく。

コンテイジョン」は疫病が世界中に蔓延していく過程を描いた作品で、もっと怖い映画なのかと思っていたけど、人が感染して死んでいくシーンを強調して恐怖を煽るような演出はなく、淡々とその過程を追っていくドキュメンタリーを見ているような作風の映画だった。単純に面白く、興味深く観ることができた。
 人々がお互いに接触できず、土地の移動もできなくなるため、都市機能が停止し、周りの環境がどんどん危険にそして不衛生になっていく様は本来とてもショッキングな場面のはずなのだが、数ヶ月前に似たような状況を体験しているとあまり違和感がない。ネットで様々な情報が錯綜する描写なども的確で、本当にこういう事態が起こったら、この映画で起こるようなことが起きるということも証明されてしまっているということでも説得力のあるシュミレーション映画になっている。
 ウィルスや放射性物質というのは世の中にあるもので、それ自体が何か悪者なわけではなく、そのごくわずかしか判明されていないもののなかで生きている人間に影響があるかないかの違いがあるだけでそう判定されているだけのことなのだ。恐怖を作り出しているのは誤った情報を流しても自分が正しいと思い込んでいる人間の方だったりする。
 昨日も福島のガレキの処理をめぐってひと騒ぎあったみたいだけど、日本中にひと通り放射性物質が飛び散ったことが判明しても、福島だけを特別視することで自分たちの事とは関係ないとみなしてしまうことの意味の無さに気づいていないか、気づきながらも楽しんでやっているとしか思えない人がまだ日本にはたくさんいるんだなと知る。世界から見たら福島だろうが佐賀だろうが国としてひと括りなんだけどね。ほんとガレキを全県で均等に割って処理すればいい。自分の畑の前にそんなんが来るのは俺もいやだけど、福島の人たちだってそれはそうでしょ。でも、実際自分たちの近くで起こらなきゃ理解はしないんだと思う。俺も神戸の地震の時も東海村の臨界事件の時もそうだったから。でも、ギリシャで国が機能しなくなって、この映画のようにゴミが放置されている場面なんかをニュースで見ると、これだけどんなことでもありえる世の中になっているのに、起こっている事象から目をそらすことは自分たちにとって何のプラスにもならないのにね。
 石巻で自分の家も流されながら船で人を助けてた人から直接聞いた話だけど、あれだけ異常な状況になっても頑なに来るべきところから来るはずの救助を待っていた人たちは助からなくて、自分たちでその状況から逃げようとした人は助かったということは確かにあったということだ。どれだけ自分で正確な知識を身につけ来るべき状況に備えるか。当たり前に身のまわりにある環境がいかにもろいもので、それを守るために国が抱えきれない借金をしているということを、身内や友人を誰一人失わずに身をもって知ることができて自分は本当にラッキーだったと思う。
 とてもわかりやすく責められやすいポジションにいたローレンス・フィッシュバーンの自分の身のまわりにいる人たちへの接し方と我が物の正義面ではしゃいでいたジュード・ロウが恋人に対してとった行動の対比からも、こういう状況でどう人は動くのか、動くべきなのかをさり気なくかつ迷いなく提示しているところもいい。
 とても役に立つ映画だ。俺は映画が好きだけど、映画が現実に対して持つ限界も感じてる。もし映画が自分にとって役に立たないモノだったら、今ならいつでも観るのをやめることができる。そうならないで欲しい。